たまには自分のことも語るさ
最近何もつまらない…
生きてるだけで苦しい…
生きててつまらない…
こんな感覚が元々僕にはあった
いわゆる人生に煮詰まりを感じているというようなことだ。
なぜ勉強しなきゃいけない?
なぜ働かなきゃいけないの?
なぜ頑張らなきゃいけないの?
こんな感覚は誰にでも時々あることだ。
主にそれは人間弱っているときに感じることが多いのだ。
ちなみに僕はというと、仕事はできない、人から舐められる、モテない、勉強ができない(英語だけはかなりできる)など、いくつもの"ない"があった。
しかも精神的にも弱い。
世の中にはいわゆる陽キャラと陰キャラの2種類がいるが、僕は完全に悪い方に属していたにちがいない。
しかし、それでも希望はあった。
グズグズ生きている毎日、この中でももがいているつもりだった。
しかし、結果的には何も起こらず、何も得られず、誰にも愛されず。
僕は何のために生きているのかわからなかった。
恋愛に関してもそうだ
考えてみても、自分のことさえ信じていない(自信がない、好きではない)のに、女性が自分のことを好きになってくれるだろうか?否、そんなわけない。
だから僕は自分を好きになるようにすることにした。
まずは自分との約束を必ず守ること。
これは決めたことは必ずやり、サボらず継続していくといった大変シンプルだが、自信をつけるにはとてもいいことだという(心理カウンセラーの偉い先生が言ってたらしい)
もう一つは強くなること。
強くなるのに、手っ取り早いのは体を鍛えることだという。
体を鍛えることによって結果的には心の鍛錬にもつながり、しかも健康的で引き締まった感じ体になれば異性にもモテる。
主にこの二つを継続してからもう一週間。
いまはとてもいい気分だ。
最後にひとつ、名言を紹介しておく。
福本漫画に登場し、映画にもなったカイジに登場したキャラクターの言葉だ。
「命はもっと粗末に扱うべきなのだ」
僕の大好きなシーンだ。至言だと思う。
どんな状況で飛び出したセリフなのか?それは大体こんな感じ。
ギャンブルで大金を得るために、命を賭けることに決めたカイジ。
周りは「めちゃくちゃだ!」と言うが、カイジは迷わず命を賭けて勝負しにいく。
それに対して、勝負を見守っている大ボス兵藤から出る賞賛の言葉が、上のセリフだ。
そのセリフは更に、こう続く。
雑魚にはわからぬ
生きたいだけの…雑魚にはわからぬ感性…!
福本伸行の漫画は最高にヒリヒリ来て人生訓になるのだけれど、このシーンは特にそうだ。
前の僕に合わせて考えてみれば、まさに僕は生きたいだけの雑魚だったに違いない。
この言葉の意味は人生は「ガンガン行こうぜ」じゃないといけないということだ。
誰にでもきっと、「自分の人生をこうしたい」という理想があるはずだ。
その理想を実現するためには、「いのちだいじに」で過ごしている場合ではない。
「いのちだいじに」を選んでいたら何も挑戦できない。結局理想には少しも近づかない内に死んでしまう。
理想を実現するために何かを変化させることは、変化を受け入れることだ。
変化を受け入れることは、失敗を受け入れることだ。
今までと違う何かに挑戦するなら、失敗のリスクは常につきまとう。
「生きたいだけの雑魚」の方が死にやすいという皮肉
以前の僕のように鬱になったり自殺したりする人のほとんどが、”生きたいだけの雑魚”なんだと思う。
ブラック企業で精神を病みながら働き続けたり、どうしようもなくなって自殺してしまう人は、”生きたいだけの雑魚”なんだと思う。
変化を嫌い、とりあえず生きていけてる現状を守るために、暮らしを変えたいと思いながらもひたすら働き続ける。
彼らは、現状を大きく変えるジャンプをするのを恐れている。
崖を飛び越えられずに死ぬのを恐れている。
その結果、今の場所でゆるやかに死んでいく。
即死の危険性を恐れて、ゆるやかな死を選ぶ。僕にはそんな風に見える。
僕は逃げない。自分を裏切ることもしないと決めた。
痛みや悲しみ、そこを乗り越えようとする、なんというか、
少しでもまともな人間になろうということこそが人間生きているっていう感じなんだろう。
人生を変えたい。この一心だけだ。
おわり♡